シンプルな瞑想(坐禅)
ーはやくサトリたい あなたへ 悟りを開いた人からー
坐禅は「バカになる練習」だと知り、また「悟りたければ誰でも悟れる」と
ある本に書かれていたことで、意欲的に取り組めました。
ただ愚直に「一に坐り、二に坐り、三四がなくて、五に工夫して坐る」を実践
してきました。
「脳を変える心」に書かれているように、坐禅の時間を積み上げる事で、
私の脳が変化していろいろな「体験」をしながら「深い悟り」に至った経過を
簡単にまとめました。
私は坐禅の入門書を「座右の書」として、会社につとめながら
「自分の部屋で、集中できる間だけ坐るというマイペースの坐禅」をしてきました。
その方法はお釈迦さんのいう「中道の修行」にかなっていたようです。
以下体験について書きますが、それらについて前もって何の知識も持たず、
ただただ坐禅をした結果として体験してから、「何だろう」といろいろな本で
調べて確認してきました。
歴史上の人たちも体験された事を知り、その体験に付けられた名前を
ひとつ、またひとつと知ったような事です。
体験を重ねてきた感覚は「涅槃」というのは体験だろうと
あらかじめ推定できていました。
前もって、推定できたのは涅槃だけです。
2011年1月見性以来9年、只管打坐のあと8年たっての体験でした。
私なりに一区切りだと考えてまとめました。
体験とともに成長してきました。
28才のとき坐禅を始めてわずか4ヶ月で「見性体験」をすることが
できました。
4×30日×平均30分=60時間という短期間で悟りを開くことができました。
その後も毎日坐るペースを変えずに「大死一番」をめざして、
趣味としての坐禅の行を続けました。
見性の効果で坐る時間は多少長くなったり、休みの日は2回、3回と坐った
かもしれません。
約半年後29才になって二月後に「大死一番」の恐怖の時を迎え、
「明けの明星」を体験しました。
全く予期せぬ出来事でした。
その頃は悟りに関する知識不足で「これでゴールだ」と勘違いして
坐るペースが落ちました。
その後、いつしか悟りから出てしまいました。
58才の、2002年2月にそれまで3年間続けた毎日のウォーキングの効果として
ふたたび「見性体験」しました。
特有な光が見え出して、見性すると分かったときから坐禅を再開して
11日後の「見性体験」でした。
その後坐禅を続けて30年前と同様に半年後に「明けの明星」の段階に入りましたが、
不運にも「見損ないました」。マダ見れるはずだと必死の坐禅を続けました。
休みの日は坐禅一色というような状態が続きました。
その時の行が「必死さ」という点で人生で一番充実した坐禅だったと思います。
50日後に「身心脱落」(解脱)を体験しました。
この言葉を知っていたので、体験がすむと
「これが道元さんが言うところの身心脱落だ」と直ぐに分かりました。
そのご10日ばかりして「サトレば人生が楽しくなる」の原稿を書き始めました。
坐禅する時間が少なくなるので、悟りから出てしまわないように
「保険として寝るときにマスクをかけるなど、マスクを有効に使いました」。
これがよかったようです。
約2ヵ月後に「只管打坐の体験」をしました。
「ただ坐っている」状態が1〜2時間続いたのでしょう。
気が付けば「今坐っていて、息しているだけ」の状態だったと言えばいいでしょう。
「サトレば人生が楽しくなる」の原稿は半年で書けましたが、残念ながら
出版社が取り上げてくれませんでした。
本つくりは「売れる本」を書けるようになるまで待つ事にしました。
自費出版としてのホームページが増えていきました。
会社を辞めてから「講演や講座」をしてきましたが。
お一人の方とのご縁も得られず。自分で主催する会は断念しました。
67歳になって間もなくの2011年1月中頃「涅槃の体験」をしました。
前の只管打坐から8年もたってからの新しい体験でした。
素人としての「マイルーム・マイペースの坐禅」で悟りを開き、
次々と体験できてきたのは「よき入門書と出会えた事」、
「体調管理と栄養管理に気を抜かなかった事」、これが一番かもしれませんが
「自分の成長状態に満足できなかった事」などがあげたれそうです。
そして今私は「なお不安があり、安心を目指して坐っています」。
「坐禅は安楽の法門」という有名な言葉があります。
心に不安があり、ゆるぎない安心を求めていたのです。
言葉を変えれば「ゆるぎなき平常心に裏打ちされた問題解決能力」を期待しています。
またある意味では慈悲に満ちた「いつもニコニコの仏様」だともいえます。
素人ながらもこの様に順調に体験を重ねられたのは「脳を変える心」に
書かれているように坐禅をする時間を重ねてきたからだと言えそうです。
私にとって坐禅はつらい事でもなく、自分が少しづつ変わるのが分かるので
楽しみながらやって来れました。
坐禅中はいろいろな雑念が起こります。それは自分の切実なことで
「テレビのドラマや映画のひとごと」とはちがって、楽しいものでした。
※ より詳しくは「私の工夫弁道」へ
注1 茂木健一郎訳
ダライ・ラマと5人の脳科学者のパネルジスカッションの報告書。
ある脳科学者の研究と医学的検査で、チベット仏教の「慈悲の瞑想」の時間の
多さが「慈悲の心の深さ」と関連していると結論付けた。
私の意見。
昔中国の禅の達人は「寸々積りて丈余の仏となす」と坐禅実践の大切さ
を語られました。同じ事を21世紀の脳科学が実証したと言えます。
坐禅の効果は「時間数の足し算」に応じて得られる。
注2 見性体験
歴史上に名前を残している悟った人たちは必ず体験されているはずです。
また大悟と言われる事があるようです。
はっきりと書かれたものをあまり見つけていません。
お釈迦さんが成道の前に悪魔の娘に誘惑される場面がありますが、これが
見性で元気になった本能(性欲)についての表現だと推定できます。
日本の関係では唯一、空海が20才の時太龍岳で「谷風が湧きいずるのを聞いた」と
書かれているのを見つけました。見性体験後の敏感になった聴覚について書かれています。
※坐禅ではここまでが「勝負どころ」だと思います。
自動車学校で普通自動車の教習をうけるとほぼ60時間のようです。
私の坐禅の時間とほぼ同じです。毎日の時間数が少ないので4ヶ月かかりました。
もっと大切な事は自動車学校では新しい事を次々覚えなければなりませんが、
坐禅は考えない練習です。次々忘れることに成功すると先に進めます。
それは「心の癒し」と「脳を変える」=「悟りへの道」を実現します。
とりあえずは悟りの入り口=「見性体験」という事になります。
注3 大死一番
1 この様な言葉をここに使うのが正しいかどうか分かりませんが、
坐禅を続ければ怖い場面が待ち受けていると思いながら坐禅を続けました。
2 後に知ったのですが坐禅の公案では「百尺竿頭歩を進む」という怖い話しも
あるようです。
3 空海は室戸岬の体験として
「天空より宝剣が舞い落ち目の前の地面に突き刺さった」
と書かれているそうです。
「怖い体験」を巧みに 表現していると感銘を受けました。
注4 明けの明星
1 人間ブッダ 田上太秀著
P37 いよいよ修行が成就する日が近づきました。
三十五歳のとき、ある朝、明けの明星の輝きに感応して、
ホウセンカの種子の袋がはじけるように、眠りから覚めるように、
朝もやが消えるように、釈尊の心は瞬時に晴れわたりました。
私の説明。
2002年2月58才の時、悟りに入る直前に本屋さんで見つけた本ですが、
29才の時に見た「きれいな光の芸術」についている名前を初めて知りました。
2 空海が20才の時に、室戸岬の洞窟で「明けの明星」を見たと書きのこし、
また語られて、人々の知るところです。
私の説明。
これを書いてくれたある方の本では「空海わずか一年余りでの達成であった」と
書かれていましたが、私は10ヶ月での達成でした。
私に能力があったというよりは入門書で坐禅のよい方法を知る事ができたこと、
空海の修行の環境と現在のサラリーマンの生活環境の違いが大きいと考えています。
3 日本の禅語録五 瑩山 P61
釈迦牟尼仏は、暁の明星を見たとき、仏道を大悟して、
「我と大地有情と、同時に成道した」と叫ばれた。
私の説明。瑩山さんが釈迦の説明の冒頭に端的に取り上げてくれています。
彼も「明星」を体験していて確信のもとに書いてくれたことだと感謝しています。
注5 特有な光・・・私以外の人が書いているのを見たことがありません。
私は人生で三回見性体験をしてきましたが、3回ともその10日ほど前から、
金属を金槌でたたいた時の音や、皿洗いの時に食器などがカチャカチャとなる「音」
に反応して、この段階に特有な「細長い光」が見えました。
注6 明けの明星を見損なった。これが幸運を呼んだ。
その日は朝早く目が覚めたので坐禅をしました。体験の前の「凝結」が始まりました。
まもなく目覚ましラジオが鳴り出しました。しばらく動かず辛抱したのですが。
たまらず体をソーット動かしてスイッチを切りました。
手が動いた距離は50センチもなかったのですが、「凝結」は解けてしまいました。
「こころ」が動いたから解けたのかもしれません。
その後、もう一度寝なおして会社に行きました。
ヒルの弁当を食べてから、いつもそうしているように、クーラーが効いた
無人の現場事務所でイス二つを並べて昼寝をすることにしました。
うつらうつらしている時に隣の鉄工所で誰かが大きなハンマーで鉄材を
叩いたのでしょう「ガーン」という大きな音がしました。それに反応して
「凝結」が始まりました。しかし直ぐに「始業5分前のチャイム」が鳴り出しました。
やもうえず起き上がりました。「夕方家で坐禅しよう」と思いました。
その夕方から毎日一生懸命坐禅をしても再び「明けの明星」を見ることができませんでした。
ただ朝の坐禅の後寝なおしたときに「明けの明星」を見たようです。
爆睡中に余りの明るさに気づき蛍光灯を消し忘れていたと勘違いして、
消そうとしてヒモに手を伸ばすと「あれ消えてる」とだけ思って寝なおしたことを
思い出しました。それが寝ている間の「明けの明星」の体験だったのです。
もう一度見たいと言う強い意欲の坐禅が50日も続きました。
おかげさまで「身心脱落」を体験できました。
当時は「明けの明星」がゴールだと考えていたので見損なったのが幸いしました。
注7 身心脱落
明けの明星見たさで続けていた坐禅ですが、その日の夜11時ごろ不思議な体験をしました。
長い体験がやっと終わった時。道元さんが書きのこしてくれた「身心脱落だ」と分かりました。
後に「解脱」と同じ事だと知りました。
注8 低酸素坐禅という言葉は私独自のものです
私は28才の時長く引く呼吸法の実践で気づいた「低酸素坐禅」の効果を信じ実践してきました。
今でも息を詰めるようにしながら坐禅をしたり、マスクを使用したりします。
少し高い山に上ったほどの「低酸素効果」をねらったのが成功したようです。
注9 只管打坐の体験 「ただ坐っているだけ」の状態を体験しました。
只管打坐は「ひたすら坐る」とか「ただ坐ることに徹する」とか坐禅の目標のように
思われがちですが、坐禅中の体験だとしりました。
ただし、目標にしても間違いではありません。
注10 涅槃の体験 長い体験でした。息苦しくてしんどい体験でしたが、
解かれたときに感じた「何のしがらみもなくなった気分」は最高でした。
2011年4月追記身心脱落以来8年たって涅槃の体験をしました
以下引用は「阿含経典による 仏教の根本聖典 増谷文雄」 P16より
「比丘たちよ、わたしは、さらに無上安穏の涅槃を求めて、マガタ国を遊行し、
ウルヴェラー村に至った。
そこでわたしは、愛すべき土地を見出した。・・・中略 修行の座についた。
こうして、わたしは、生もなく、病もなく、老もなく、死もなく、愁いもなく、
けがれもない、無上安穏の涅槃を求めて、ついにこれを得ることができた。
その時わたしに一つの智見が生まれた。
― わたしの解脱はもはや不動である。迷いの生は尽きた。
清浄なる修行はすでに確立した。なすべき事はすでになし終わった。
もはや、ふたたび迷妄の人生をうけることはない。―と。」
以上が引用です。
「成道」の場面です。この後、お釈迦さんは説法を始められます。
出会った人に、そして、かつての出家仲間に。
私の意見。
成道の場面には「明けの明星」をよく見かけますが
この「涅槃」はそれよりは大変深い体験であり、境地の深さも
大変な深さです。私は「平常心」で境地を比較したりしますが、
大変な差があります。
その違いは「体験した者」にしか分かりません。